本川弘一 博士

本川弘一博士顕彰碑

 脳波を記録することに日本で初めて成功し、電気生理学の分野で世界に知られました。
のちに、人間の色覚の法則を発見し、ノーベル賞候補にまで挙げられました。
昭和40年東北大学長に就任、昭和50年には加賀市名誉市民となりました。


年譜・功績

  @ 略年譜

1903 (明治36年)  1月  17日    石川県加賀市桑原町イの110番地において生まれる。
1909 (明治42年)  4月   1日  6歳  石川県江沼郡七日市尋常小学校(現在の加賀市立
 庄小学校)に入学する。
1915 (大正 4年)  3月  27日 12歳  同小学校をきわめて優秀な成績で卒業する。
     4月   1日    石川県江沼郡動橋尋常高等小学校に入学する
1917 (大正 6年)  3月   14歳  同高等科二年を卒業し、農業に従事しながら七日市
 尋常小学校付設の農業補習学校(夜間)に一年間学ぶ。
 以後農業に従事する。 
1920 (大正 9年)  4月   17歳  従兄川端武雄氏(医師)が専検に合格したことを知り、
 向学心にもえて京都で一年間の勉強で専検に合格する。
 専検とは中学卒業資格検定試験をいう。
1921 (大正10年)  4月   18歳  第四高等学校理科乙類に合格する。
1925 (大正14年)  3月   22歳  同高校を優秀な成績で卒業する。
     4月       東京帝国大学医学部医学科に入学する。
1929 (昭和 4年)  3月    26歳  同大学を優秀な成績で卒業し、同年4月同大学医学部
 生理学教室橋田邦彦教授(元文部大臣)の副主となる。
1931 (昭和 6年)  4月 〜12月 28歳  財団法人昭和医学専門学校教授嘱託となる。
1932 (昭和 7年) 11月 〜9年6月 29歳  東京帝国大学大学院特選給費生となる。
1934 (昭和 9年)  6月   31歳  東京帝国大学助手となる。
1939 (昭和14年)  1月   36歳  「蛙皮の歪電流について」の論文で医学博士となる。
     6月      東京帝国大学臨時付属医学専門部講師として勤務する。
    11月      東京帝国大学講師となる。
    12月      東北帝国大学講師となる。
1940 (昭和15年)  3月   37歳  東北帝国大学教授となる。
1941 (昭和16年) 12月
18年12月
38歳  東北帝国大学付属図書館医科分館長となる。
1947 (昭和22年)  5月   44歳  医師国家試験委員となる。
1952 (昭和27年)  5月   49歳  文部省学術奨励審議会科学研究費分科審議会委員とな
 る。
1953 (昭和28年)  8月
29年3月
50歳  アメリカ合衆国、カナダ国へ出張する。
1954 (昭和29年)  1月   51歳  「色の感覚に関する研究」により朝日文化賞を受け、研究
 はノーベル賞の候補となる。
     5月      「脳電図の研究」により日本学士院賞を受ける。
1957 (昭和32年)  2月
36年2月
54歳  東北大学評議員を務める。
1961 (昭和36年)  4月
40年3月
58歳  東北大学医学部長を務める。この間東北大学大学院医学
 研究課長、大学学術局医学視学委員となる。
    11月
38年10月
   国立大学研究所協議会委員となる。
    11月      宮城県経済振興審議会委員となる。
1962 (昭和37年)  1月   59歳  日本学術会議生物物理特別委員会委員となる。
    10月      日本学術会議脳研究連絡委員会委員となる。
1963 (昭和38年)  1月
41年1月
60歳  日本学術会議第六期会員となる。
     9月
41年11月
   東北大学医学部付属脳疾患研究施設長となる。
           日本人間工学会会長となる。
1964 (昭和39年)  4月   61歳  アメリカ合衆国、六月からフランス、連合王国、西ドイツ
 オーストリア、スイス、イタリーの各国へ出張する。
     8月 〜9月    東北大学学長事務代理となる。
1965 (昭和40年)  4月
41年11月
62歳  東北大学歯学部長を務める。
    11月      東北大学学長となる。また国立大学協会理事、評議員
 大学基準協会理事、民主教育協会東北部長となる。
1966 (昭和41年)  3月   63歳  文部省大学設置審議会委員となる。同年十月からドイツ
 連邦共和国、オランダ、スウエーデンの各国へ出張する。
    10月      「科学及医学分野における学問を通じて日本とドイツの親
 交を深めた功績」によりドイツ連邦共和国よりシーボルトメ
 ダルを受賞する。
1968 (昭和43年) 11月   65歳  日本学士院会員に選任される。
1969 (昭和44年)  4月   66歳  国立大学協会副会長となる。
1970 (昭和45年) 11月   67歳  「色覚および形態覚の生理」の英訳で、第七回日本翻訳
 文化賞を受ける。
1971 (昭和46年)  2月   3日 68歳  午前二時二十五分逝去。
1971 (昭和46年)  2月   3日 68歳  正三位勲一等瑞宝章を授けられる

 付記   略年譜は 1999年(平成11年)3月22日本川弘一博士顕彰碑除幕式典資料より引用


  A 功 績    画像をクリックすると拡大されます。

 1971(昭和46年)2月3日

 正三位勲一等瑞宝章

                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕

 1954(昭和29年)1月

 「色の感覚に関する研究」により朝日文化賞を受賞
 1954(昭和29年)5月

 「脳電図の研究」により日本学士院賞を受賞

                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕
 1966(昭和41年)10月

 「科学及医学分野における学問を通じて日本とドイツの親
 交を深めた功績」によりドイツ連邦共和国よりシーボルトメ
 ダルを受賞する。

                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕
 1970(昭和45年)11月

 「色覚および形態覚の生理」の英訳で、第七回日本翻訳
 文化賞を受ける。

 1975(昭和50年)11月4日

 加賀市名誉市民賞受賞

                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕


著書・遺作

  
@ 著書一覧  画像をクリックすると拡大されます。


  A 遺 品     画像をクリックすると拡大されます。

 額   「同仁和楽」 (どうじんわらく)

 広くみんなが なごみ楽しむという意味

     同仁(どんな人も分け隔てなくという意味がある)

                   〔桑原町公民館  所蔵〕
 額   「徳不弧」 (とくこならず)

 徳のある人は孤立することがないという意味


                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕
 桑原町 森川時平氏に宛てて書かれた手紙


                   〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕
 書  


 石川県江沼郡動橋尋常高等小学校高等科第二学年
 
          (現在の中学校2年生14歳) の時の作品





                   〔桑原町 本川家  所蔵〕
 本川博士の趣味は絵画で、多くの色紙が遺されています。
 「だるま」や「牛」が題材の作品も多くあったそうです。


                  






                        〔庄地区本川博士顕彰会所蔵〕

加賀市中央図書館 本川弘一博士 コーナー

  加賀市中央図書館に本川弘一博士
 の展示コーナーがあります。
 ここに展示されている著書や作品は
 庄地区本川博士顕彰会より貸し出さ
 れています。

本川弘一博士 顕彰碑


 
  庄地区まちづくり推進協議会主催第10回庄地区総合文化祭特別
 記念事業として、平成10年10月 庄地区本川弘一博士顕彰会を発足。
  平成11年3月22日庄地区会館前に本川弘一博士顕彰碑を建立し
 除幕式を行いました。碑には、本川博士直筆の額「同仁和楽」の文字
 の写しが彫りこまれています。 
 
                                                                                                                                                                 

本川弘一博士顕彰会

 事務局所在地            〒922-0332 
 石川県加賀市庄町ワ142-1〔庄地区会館内〕   
      庄地区本川弘一博士顕彰会
                    п@0761-75-3349