過去の企画展

再興九谷「組物」(後期展)~吉田屋・宮本屋・松山の起程を尋ねる~

平成23年10月19日(水)~平成24年1月16日(月)まで

No.1 吉田屋 群蝶図段縁形大皿(「文政十三年寅二月出耒」箱) 20客

  口径は最大個体で21.2センチあり、これは今回出品されている吉田屋組物の口径では最大である。この組物の伝来は石川県加賀市内の旧北前船主邸で、20客の保存は1箱に10客を積み重ねて収める古来の方法で、まさしく初出しの組物といえる。箱書には蓋表に「九谷焼物皿」、「九谷木瓜形向付 貮十人前」、底外側に「文政十三年 寅二月出耒」、「文政十三歳 寅二月出耒」等とある。用途が焼物皿や向付であったこと、製作当初の20客からは散逸されていないことなどが読み取れ、さらに文政13年2月に制作されたと書かれていることの価値は大きく、この当時の吉田屋窯作品の基準資料となる。保存状態はたいへん良く(表面のガラス釉がほとんど擦れておらず、光沢度が高く、未使用に近い)、吉田屋窯製品の窯出し直後の状態を見ることが出来る作品である。
  当作は、『九谷古窯跡発掘調査報告書』(石川県教育委員会、2007)に所載される昭和46年に行われた九谷村の吉田屋窯及びその物原で出土した遺物と一致しており、その解説文には「皿B類(図三七-12)高さ一・八糎、口径二二・八糎、底径一一・六糎の大きさのもので、口縁部の内側面が段をなして厚くなる段縁皿である。口縁端部には鉄銹が施されている。また、腰部がへたっているため、元の器形はやや高くなるものと考えられる。」とある。出土の記録では、「図No.:37 No.:12 分類:皿 資料名称:皿B 出土位置:E、高さ:1.8、口径:22.8、底径:11.6」とある。
  また、『加賀市九谷A遺跡Ⅱ』(石川県教育委員会・石川県埋蔵文化財センター、2006)に所載される九谷A遺跡第6次調査(1999年)でも同一片が出土しており、その解説文には遺物番号を126としたうえで、「126は焼き歪んでいるため器高は不明であるが、口縁内面を二重口縁状にしている。高台は断面三角形で、内傾している。」とある。出土の記録では、「報告:126 実測No.:D103 区:V-1 出土地点:西暗褐色礫層(焼土ブロック) 素材等:磁器 器種:皿 釉薬等:白磁 法量(口径23.1、底径12.2、器高1.6) 色調:灰 産地:九谷 年代:19C前 備考:口径約16.4センチの破片(素焼きの口紅皿)溶着」とある。
  このように、吉田屋窯及び物原地点と九谷村吉田屋窯の焚口北約30~40メートルの付近からは、当作品と同一の形状の破片が2個体出土している。この出土破片は1824~1825年製であるが、この組物は前記の箱書どおり1830年製と特定されている。すなわちこの両者からは、九谷吉田屋とそれ以降の山代吉田屋の「型」や制作技術の一部は共通していることが理解されるが、逆にいえば九谷吉田屋製か山代吉田屋製かの素地成形の違いだけでの判断は出来ないということになる。

吉田屋群蝶図段縁形大皿写真

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