組合概要


古九谷、吉田屋、松山窯と引き継がれてきた加賀九谷焼は、廃藩置県後、旧大聖寺藩士や松山窯出身者が中心となり継続され今に至っています。
明治15年に旧大聖寺藩士飛鳥井清を会長に発足した「江沼郡九谷陶画工同盟会」が現在の加賀九谷陶磁器協同組合の前身です。

沿革

明治15年
「江沼郡九谷陶画工同盟会」が組織される。
会長 飛鳥井 清(九谷陶器会社)
明治19年
「江沼郡九谷画工組合」と改称する。
初代組合長 梅田 五月(九谷陶器会社)
二代組合長 竹内 吟秋(九谷陶器会社)
明治36年
「江沼郡九谷陶器同業組合」が組織される。
組合長 初代須田菁華
大正10年
組合長を初代中村秋塘に引き継ぐ。
昭和5年
組合名を「江沼九谷陶磁器工業協同組合」と変える。組織にも変更あり。素地製造窯元、上絵付製造業者のみとし、従来の小売販売業者を除いた。
組合長 井上 慶作
組合長 山野 和平 昭和10年頃より
組合長 須田 吉次(二代靑華) 昭和14年頃より
組合長 北出 塔次郎 昭和15年より
昭和6年
大聖寺地区在住の陶工・陶画工を中心に「大聖寺錦陶会」結成。昭和18年戦争の激化に伴い解散するまで存続し活動を続けた。会員数は約20名ほどであった。昭和7年に大聖寺十万石展、古九谷展及び現代九谷陶器展を開催した。
昭和11年
江沼郡九谷陶磁器工業協同組合員の中の山代町方面の九谷焼従業者が「山代陶振会」を結成。会員は陶磁器の製造・販売に関わる者40名ほどであった。昭和15年解散。
昭和17年
戦時統制が厳しくなり、従業員の軍隊への召集、軍需工場への徴用等のため陶磁器工場の閉鎖があいつぎ、生産はほとんど停止の状態に至ったので、組合は解散した。
昭和21年
陶磁器の釉薬絵具、デザイン、陶画技術などの研究と会員相互の親睦を目的とし「大聖寺陶芸研究会」が発足。会員数は約15名。昭和36年に結成された現協同組合の誕生により、会員は分散し解散した。
昭和27年
敗戦直後の混乱期を経て「山代九谷振興会」が発足。昭和36年に現在の組織となり解散するまで活動を続けた。区域は山代地区、山代町の他、勅使、栄谷方面を含み、会員数は58名ほどであった。
昭和33年
江沼郡内の山中町を除く9町村が合併して、新しく加賀市が発足した。これに伴い、山代の九谷振興会と大聖寺陶芸研究会は解散し、合体して「加賀市九谷焼陶磁器振興会」となった。
昭和36年
中小企業協同組合法に基づいて「加賀九谷陶磁器協同組合」が誕生した。組合員28名。
平成14年
組合長に山本長左が就任。
加賀市大聖寺に石川県九谷焼美術館。山代温泉には九谷焼窯跡展示館が開館し、館長に青泉窯北出不二雄氏が就任。同年、組合が展示館敷地内に「豊田伝右衛門顕彰碑」建立。併せて第1回豊田伝右衛門顕彰祭を開催、以来毎年開催。
平成15年
石川県九谷焼美術館の「小学生イラストコンクール」において、小学生のイラストを原画とした九谷焼絵皿制作に協力。以後、現在まで続く。
平成19年
組合が中心となり、展示館窯小屋内に伝統的な薪で焚く錦窯を復元し加賀市に寄贈。以後、年に1~数回火入れを行う。
平成20年
九谷焼腕時計(クォーツ式モデル) を制作し、第35回石川県デザイン展石川県知事賞を受賞。
平成21年
山代温泉新総湯陶板制作。
組合が九谷焼窯跡展示館の指定管理者となる。
平成22年
九谷焼腕時計(機械式モデル) 制作。
山代温泉古総湯陶板制作。
平成24年
組合長に中村元風が就任。現在の組合員38名。
平成28
組合長に山本篤が就任。現在の組合員42名。
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